人生に煩悶懐疑する青年の内なる心であり、能「邯鄲」の専用面であるが、品格の高さと超人的な表情から若く気高い男神としても用いられ、能「邯鄲」また「高砂」「養老」の神としてその位を感じさせる。「高砂」「養老」は神体という面を用いるが、邯鄲男が使用されるようになったのは江戸時代からのようである。


能『邯鄲』は、『邯鄲の枕』の故事を元に作られた能の演目である。道士・呂翁にあたる役が、宿屋の女主人であったりと、多少の変化はあるが、大筋としてはほぼ「邯鄲の枕」の故事そのままであるといって良い。舞台上に設えられた簡素な「宮」が、最初は宿屋の寝台を表すが、盧生が舞台を一巡すると今度は宮殿の玉座を表したりと、能舞台の特性を上手く利用した佳作である。

感鄲の枕
趙の時代に「廬生」という若者が人生の目標も定まらぬまま故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴く。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い、延々と僅かな田畑を持つだけの自らの身の不平を語った。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授ける。そして廬生はその枕を使ってみると、みるみる出世し嫁も貰い、時には冤罪で投獄され、名声を求めたことを後悔して自殺しようとしたり、運よく処罰を免れたり、冤罪が晴らされ信義を取り戻ししたりしながら栄旺栄華を極め、国王にも就き賢臣の誉れを恣に至る。子や孫にも恵まれ、幸福な生活を送った。しかし年齢には勝てず、多くの人々に惜しまれながら眠るように死んだ。ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日であり、寝る前に火に掛けた粟粥がまだ煮揚がってさえいなかった。全ては夢であり束の間の出来事であったのである。廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行った。