端麗で優美な面は、観世流の代表的な女面であり、三番目物に用いられ、「いかにせん都の春も惜しけれど 馴れし東の花や散るらん」と遠く東国に病む老母によせる心を描く「熊野」、「半蔀」「源氏供養」「野宮」「井筒」などに用いられる。


三番目物
女性が主人公の能で「鬘(かずら)物」と言われます。五番立の番組の中心をなしており、主人公は死者で、テーマは、恋愛とその苦悩が中心。多くは女性の亡霊の恋する想いが、成仏せずに漂っているという想定の筋立てです。「羽衣」「井筒」「松風」「定家」などの演目がこの分野です。


観世流 - シテ方の由来
能の元祖的な流派。観世流の始祖は観阿弥。観阿弥の時代に観世座として流派の名が確立された。その前進は大和猿楽四座の結崎座で、京都の談山神社に猿楽を奉納するための組織だった。初代の座長は不明だが、観阿弥も座長のひとり。観阿弥の子は世阿弥で、2代目宗家となった。
この親子は能楽史上、非常に有名で、観世流の始祖というだけではなく、能楽そのものの創始者といっても過言ではない。
三代目は甥にあたる音阿弥(元重)。観世流の歴史上、特筆すべき名人で観世流の存在を不動のものとした。