元来、宝生流の本面で名物面として知られている。増阿弥作の「増女」の面が偶然にも鼻の付け根部分に素材の檜の節があり、そこからヤニが浸み出したところから「節木増」の名になったといわれる。
以後の面う打ちはこの節の個所まで模写して作る様になった。